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赤い糸の甲冑のその後

以前、Xにて以下のような投稿をしました。


**2025年4月19日の投稿**

「近江の者だが、逃げることはできなかったのだ」


夢の中で、赤い糸が印象的な、

あまり派手ではない甲冑を

身にまとった武士が、

顔がギリギリ見えない位置で膝をつき、

私に語りかけてきました。


顔は見えませんでしたが、

その語り口は落ち着いており、

力強い印象を受けました。

荒々しさはなく、

かといって弱々しいものでもありませんでした。


昨年、家系図を江戸時代まで

遡って作成しましたが、

その時点では両家ともに

近江(現在の滋賀県)に先祖はおらず、

せいぜい京都止まりでした。

京都であれば、近江とは

「近からず、遠からず」と

言える距離ではあります。


甲冑というと、戦国時代を想起しますが、

当然ながらそんな遠い過去の

先祖を特定することはできません。


Xでは数人の方がキーワードや

情報を提供してくださり、勉強になりました。

(ありがとうございます!)

しかし、ピンとくるものはありませんでした。


そこで、「赤い甲冑」で検索してみました。


上杉謙信などの著名な武将が

検索結果に挙がりましたが、

真っ赤な甲冑とは異なる印象でした。


その過程で、有名な武将が

複数の甲冑を

所有していたことを知りました。

これは新たな発見でした。


さらに深掘りしていくと、

「明智光秀」という名前が浮上しました。

直感的に「これだ!」と感じましたが、

明智光秀は近江出身ではないはずです。


早速、Wikipediaで調べてみると、

次の記述がありました:

「通説では美濃国の明智氏の支流の人物で、

俗に美濃の明智荘の明智城の出身と

言われているが、他の説もある。」

[Wikipedia: 明智光秀]

(https://ja.wikipedia.org/wiki/明智光秀)


興味深いことに、近江出生説も存在します。

さらに読み進めると、

「光秀の初期活動は近江で確認され、

(中略)出生地とされる地域は6ヵ所ある」とありました。


特に、「高嶋田中籠城之時」(近江での籠城戦)や、

元亀2年(1571年)に滋賀郡に

領地を与えられた記録は、

近江との関わりを裏付けます。


これを知ったとき、

「もしかして本当に光秀だったのか?」と

思いました。


しかし、なぜ私の夢に

現れたのかは謎のままです。


明智光秀は、戦国時代の

重要人物として知られ、

特に本能寺の変(1582年)で主君・織田信長を

討ったことで歴史に名を刻みました。


彼の出自については美濃説が有力ですが、

近江説も複数の史料で言及されています。


たとえば、『明智軍記』や『細川家記』には、

光秀が近江で活動していた時期が記載されており、

近江の朽木氏や浅井氏との関係も指摘されています。


これにより、夢の中の「近江の者」という言葉は、

光秀の近江での活動を反映している可能性もあります。


また、「赤い甲冑」についてですが、

戦国時代の甲冑は武将の個性や

家柄を象徴するものでした。


明智光秀の甲冑が赤を基調としていた

確かな史料は少ないものの、

赤は戦場での視認性や

威圧感を高める色として好まれ、

複数の武将が赤系統の甲冑を

使用していたことが知られています。


光秀が所有していた甲冑の中に、

赤い糸や赤を基調としたものが

あった可能性は否定できません。


私は歴史上の人物の存在自体を

慎重に捉える立場です。

アダムとイブでさえ、

人間として実在したかどうかは

「わからない」と考えています。

(これはキリスト教への否定ではありません)

知り合いではないので(笑)。


また、家系図について触れましたが

肉体的な繋がりだけでなく、

魂や意識の継承にも可能性を感じています。

家系図が全てではないと考えています。


しかし、なぜ明智光秀(仮にそうであれば)が

夢に現れたのか、依然として謎です。


数ヶ月後、還暦と結婚式の会場となった

高野山恵光院が、実は明智光秀の

菩提寺であることを知りました。

(鳥肌タイム)


式の夜、奥の院ナイトツアーに参加しました。

奥の院は、空海の御廟へと続く参道で、

戦国武将や偉人、企業の供養塔が並びます。

その中に、明智光秀の供養塔がありました。


恵光院の僧侶のガイドによると、

「明智光秀の供養塔は

何度建て直してもヒビが入るため、

織田信長の念によるものと言われている」

とのこと。


確かに、供養塔にはヒビが見られ、

写真にも収めました。

ヒビが入っていた位置は

仏教で言う五大元素のうち

「水」の位置でした。

水は感情を表します。


「ああ…気持ちがね」

と思わず心の中で呟きました。


私はこう考えるのです。


歴史は「勝てば官軍」です。

勝者が自分たちを正当化し、

物語を構築するため、真実は曖昧です。


光秀の裏切りも、織田信長との複雑な関係や

当時の政治状況を考慮すると、

単純な「悪役」の物語ではないかもしれません。


知られざるストーリーが

数多く存在するはずです。


高野山の明智光秀供養塔に

ヒビが入るという伝承は、

歴史と民間信仰の交錯を示す

興味深い例です。


光秀は本能寺の変後、山崎の戦い(1582年)で

羽柴秀吉に敗れ、歴史的には「裏切り者」として

描かれることが多かった人物です。


しかし、近年では光秀の再評価が進み、

彼の政治的理念や織田政権内での

葛藤が注目されています。


供養塔のヒビは、信長の「怨念」という

ロマンティックな解釈の一方で、

光秀の複雑な歴史的評価を

象徴しているとも言えます。


思わぬ縁に驚きつつ、

こうした出来事は人生で多々ありますので

私はそっと合掌し、

魂が癒されるよう祈りました。


夢の武士が本当に明智光秀だったのか、

なぜ現れたのかはわかりません。

しかし、これほどの縁があると、

「そうだったのかもしれない」と

感じてしまいますね。


鑑定や相談で、

報われなかった思いに触れることがあります。

その際、過去の人物に対しても、

生きている人と同じように祈りを捧げます。


全てを理解することはできませんが、

思いが少しでも軽やかになることを願っています。


今日は夏の怪談よろしく、

少し涼し〜いお話をしました(笑)


夏の暑さ厳しい折、どうぞご自愛ください。

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