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誰かと比べることをやめて良かったこと

他人と比べても、

自分を幸せにすることは

できませんでした。


私は自分の半生をかけて、

そのことを学びました。


そんなこと、とうの昔に

知っているような人でも

自分の欲望に照らし合わせて 見てください。


他人と比べ、

人よりも優れようとしたり、

人よりも多くを求める努力ほど、

虚しく、終わりのないものはありません。


私は競争そのものを

否定するつもりはありません。


コンテストやオーディションの

経験もありますが、

それらは自分を試したり、

成長の機会になると考えれば、

素晴らしいものです。


しかし、そこには落とし穴があります。


- 負けたら意味がない

- 選ばれないのは自分がダメだから

- 誰かより優れていなければならない

- どんな手を使っても勝たなければいけない


こうした考えを無視し、

淡々と挑戦を続ければいいのですが、

人間は常に強いわけではありません。

周囲に流されやすいこともあります。


私もそのような

競争の世界で長年生きてきたため、

時にこの価値観に溺れ、

最終的には

自分を卑下するまでになりました。


学校の成績や受験、

習い事のコンテストやコンクール、

オーディション、

キャスティングコールなど、

常に「評価される」環境に

身を置いてきました。


最初は自分なりの道を

追求していたはずでした。


しかし、正直者が馬鹿を

見るような場面が増え、

次第に「勝ち」にこだわり、

周囲と同じように

小賢しい手段を使わなければ勝てない、

成功できないと思うようになりました。


大人になる頃には、価値観に

オーバーヒートしていることに気づかず、

何十年もその中で生きて、

それが当たり前になっていました。


皆さんの中にも、

似たような経験をした方や、

現在進行形で感じている方が

多くいらっしゃるのではないでしょうか。


もちろん、この社会では

競争しなければならない局面は

数多く訪れます。


しかし、それは社会を

責める理由にはなりません。


問題は競争の仕方にあります。

楽しめない競争に

身を置いているのは自分自身だからです。


心身を健康に保ちながら

競争できれば理想的ですが、

大人になると

「生活がかかっている」

「お金がかかっている」といった理由から、

真面目な人ほど

「絶対に勝たなければ」

「通過しなければ」

「失敗してはいけない」と

自分を追い込みがちです。


しかし、その生活は本当に

その競争にかかっているのでしょうか?

その場所でしかできないことなのでしょうか?

食べるためにできることは、

別の世界にもあるかもしれません。


競争で辛いことの一つは

「他人と比べること」です。

この価値観が、健康的な努力を

阻害していると私は考えています。


まず、他人と比べた上での自己評価は、

今すぐやめるべきです。

自分を簡単に見失います。


誰かと比べることほど

馬鹿馬鹿しいことはありません。


この広い世界の恩恵を

全く感じられていないも同然です。


妬みや嫉みは視野の狭さの

現れでしかありません。


その感情は、むやみに持つ必要のない

欲望を暴走させます。


他人と比べても、お互いをリスペクトし、

讃え合える関係なら理想的です。


オリンピックで、選手たちが

互いを称え合う表彰台の場面を見ると、

観客まで感動で涙するではありませんか?


そんな高い精神レベルなら

素晴らしいのですが、

誰もがその境地に

達しているわけではありません。


よくある話として、

会社内でのせめぎ合いや、

小さなグループ内での

足の引っ張り合いがあります。


金銭や力関係が絡むと、

人間関係はさらに複雑になります。


金や名ばかりのポジションに

(時にはそれすらない場合も!)

目が眩んだ人たちの争いは、

見ていて本当に心が痛むものです。


なぜなら、退職してしまえば、

ただの人に戻るだけだからです。


金の亡者で人格が破綻した

「元お偉いさん」として人生を終えるのは、

滑稽という以上に何と表現すればいいのでしょう。


今すぐ、他人と比べた理想像や

憧れを手放すことをおすすめします。


これ以上、自分を苦しめる

必要はありません。

終わりのない追求は

終わりにしましょう。


少しずつ、

どんな小さなことでもいいので、

自由に解放される感覚を

味わってみてください。


「あの人」より

美しくなる必要はありません。


「あの人」より

大きな家を持つ必要もありません。


「あの人」より

多くの報酬を望む必要もありません。


なぜなら、それらは誰かが決めた

小さなノミのような価値観でしかなく、

多くの場合、その場を離れれば

すぐに覆るものだからです。


日本の価値観は、

アメリカに行けば簡単に覆るものが

たくさんあります。

逆もまた然りです。

結局、私たちはただの人です。


心の貧しさからくる欲望は

解決策にはなりません。


それは終わりのない追求への

入り口でしかありません。


これから得るものや豊かさは、

今持っているものの延長線上にあります。


私はアーティストとして

成功するという憧れも

とっくに捨てました。


容姿へのこだわりも、

健康上の理由や「服が入らない」(笑)

といった理由以外では、

気にならなくなりました。


その結果、本当にやりたかったこと、

作りたいもの、

表現したいことが見えるようになり、

40歳を過ぎてようやく自分の美しさに

興味を持つようになりました。


ようやく!

40歳を過ぎて!


20代の自分に謝りたい気持ちです。

有名になることが成功だと信じ、

お金や権力に執着していた

若い頃の自分には吐き気がしますが、

同時に愛おしくも思います。

よくそこから這い上がったな、と。


若い頃の自分を慰め、

癒すこともできるようになりました。


体を労わること、愛される喜びや

女性としての幸せに気づくこともできました。


たくさんの人から

認められなくてもいい。

何を言われても構わない。

それはただの雑音です。

一緒にいたい人と一緒に

いられればいい。


肉体の若さも、ピチピチ(笑)では

なくなって、ようやく老いの

恐れから解放されました。


私は私の創造物に集中すればいい。

私の道を進めばいい。

たくさんの道を歩み、

たくさんの涙と笑いを経験してきた。

それが私の価値であり、

私の「勝ち」なのです。


これからも、この延長線上には

学ぶことがたくさんあるでしょう。

こんなふうに成長しながら

作り続けるので 作品作りにも骨が折れます(笑)


若い頃の衝動や追いかける気持ちは

とても大切です。

失敗や葛藤を経験することで、

晩年に学びとして活かせるものは

無駄ではありません。

それも事実です。


しかし、一つの区切りを

迎えた私が言えるのは、

どうか自分を見失うような努力は

やめてほしいということです。


他人と比較して自分を蔑んだり、

他人のものを妬んだりするのは

無用の努力です。


それこそが生き地獄の風景だと気づき、

私たちは前に進んでいきましょう。


私にとってもここからが

勝負なのかもしれません。

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