私が悪魔を呼んだ理由
- Shinyong the Chameleon

- 11月11日
- 読了時間: 5分
今日も、不思議なことを
書き連ねますが、
これも一人の人の捉え方だと思って
お読みください。
信仰者は理解できるでしょう。
そうでなくても
自分が危うい時には
「神様…」と呼んだこともあると思います。
私も例外ではなく、
何度も心の底から呼びました。
神様とはなんでしょうね。
いろんな捉え方がありますが
私にとって、存在の有無両方を
兼ね備えたエネルギーです。
「ある」し、「ない」。
それを勝手に
神と呼んでいるのかもしれません。
ただ、宗教や団体によっては
古い人間の祖先を
神と呼んでいる場合もありますし、
一概に言えません。
神は呼んでも特に答えない(笑)
春のそよ風のような
秋の木漏れ日のような
時に冷たい北風のような存在だと
私は感じています。
でも、「ある」のがよくわかるのです。
(「ない」とおっしゃる人の気持ちも
よくわかっているつもりです。)
その度に、また涙を拭いて
立ち上がってきました。
「ある」のがわかっていて
私は絶望した夜、悪魔を呼びました。
実は、そのこと自体は
覚えていたのですが
最近、映画「コンスタンティン」を
見るといいという
何とも具体的なメッセージを受け、
見てみたところ、
当時の記憶が鮮明に蘇ってきました。
見たことのない方は是非。
主演のキアヌ・リーブスも
かっこいいです(笑)
さて、神を呼んでも来ないので
私は悪魔に話しかけました。
正確に言うと、呼んでも来ないのは
とうの昔にわかっているのに
まるで悪魔を呼ぶ言い訳にして
応答しない神に当てつけるように
呼んだのです。
「悪魔でもいいから、助けてくれ」と。
すると間髪入れずに
ー お前は代わりに
何を差し出すのだ。と。
その雰囲気を感じた時に、
私は心の底から笑いました。
「確かに!」って(笑)
今更何を差し出せるのだろうと
笑っちゃいました。
皆さん、こうやって
悪魔というのは心の隙に
巧みに入り込みます。
だから心も体も
鍛錬して、自分の弱さに
向き合うようにしようと
呼びかけるのです。
私は自分で死ねないことを
心から恥じていました。
飛び降りようとすると
眼下に無数のおびただしい手が
私を引き摺り込もうとするのです。
その度に
「こんな得体の
知れないもののために
勉強してきたんじゃない!」と
悔しくて、悔しくて
その真っ黒な手に
身を預けることが
できなかったのです。
死ぬ勇気さえないことを
恥じていたのです。
今考えると、まったく
馬鹿げている思考なのですが
傷んでいる人間とは
そんなものです。
そこを悪魔は
指摘したのでしょうね。
でも、私は悪魔の指摘に
抗うことではなく、
「確かに」と受け入れたのです。
弱さを受け入れた瞬間でした。
そうすると急に頭が
冴えてきて、おかしくて
笑いが込み上げてきました。
「貴様、だから神を超えることが
できないのだな。
神は何も言わなかったよ。」
(いうわけがない。)
悪魔を貴様呼ばわりし、
悪魔に対して
悪魔性を発揮するという
不思議なことになりましたが
この瞬間に心が軽くなり、
力が湧いてくるのを感じました。
自分を救うのは、
自分次第だなと。
その後も少し会話は続きますが
それはまた次の機会に
することにしましょう。
そのやりとり以降
元々、悪の存在に対してユニークな
見解を持っていましたから、
その後も度々自分の闇や
悪魔性に接するたびに
ニヤニヤして(笑)
いい距離感を保っています。
天の道に魔もいると思っています。
魔も存在している。
あなたの中にもいます。
しかしながら、人間の世界では
人間は魔の道も神の道も、
自由に選択することができます。
我々人間が、学ぶ姿勢に
忠実であり続けることで
どちらともニュートラルに
対することができると思っています。
取り憑かれたり、
洗脳されるのは
あちらに一方的に
コントロールされている状態です。
誰にでもその危険性はあります。
自分を取り戻しましょう。
時折、自分の魂を
放り出そうとしている
人間を見ては
腹正しく烈火のように
怒ることもありますが
それはその人の気持ちが
よくわかるからです。
もう大人になりましたから
歯を食いしばって
表面上は
涼しい顔をして(一応)
早く立ち上がることを
祈っている次第です。
悪魔信仰や呪いは
もってのほかですが
正直なところ、
普通の信仰でも似たように
危なっかしい部分はあるので
何とも言えません。
その話題ですと、
先日別の面白い映画を見ました。
私は途中まで
イライラしていたのですが(笑)
なぜイライラしたかは
いつかライブででも
お話ししましょう。
英語のタイトルは
「Nefarious」です。
新しい視点で悪魔を
みれるのではないかと思います。
興味のある方は是非。
神々の領域、
ーそれは、魔の領域も含めて
双方自立し、
リスペクトがないと
お互いの公平な
存在価値は成立しません。
天界にも無礼な存在は
たくさんいます。
私たちは人間なので、
天界について知らないこと、
今は知る必要がないことも
あるかもしれません。
多くの人にとっては
見えない存在すら
「存在している」かどうか
わからないことでしょう。
ですが、我々人間は
勉強することができます。
人間として生きている領域と
本分を十分に生かしていくうちに
その天界の姿にも
触れることがあると思います。
結局、私たちは皆
共に存在しているのですから。
普段は自分のプライドの高さを
ネガティブに捉えることが多いですが
あの時、あの真っ黒な
無数の手に屈しなかった
自分の霊的なプライドを
褒めてあげたいと
今は心から思います。
皆さんにもあったと思います。
自分を褒めてあげてくださいね。
では、今日もいい1日を。





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