神々との対話に気をつけていること
- Shinyong the Chameleon

- 10月9日
- 読了時間: 5分
まず、誰であっても
神々との対話は可能です。
この点を最初にお伝えしておきます。
そよ風にのって漂うような感覚や、
雷が吉兆のサインと感じられる
瞬間があるかもしれません。
たとえば、子どもが無邪気に
「ママ、あの雲が
『よく頑張った』って言ってるよ」
と言うならば、
それはまさにその通りなのです。
しかし、私のような者が
皆さんの相談や大局を捉える際には、
異なる視点を持っています。
本日は、神々と対話する際の
私の姿勢について、
少しお話しします。
まず、自己が何者であるかを
深く理解することが重要です。
より正確には、
「理解しようと努めている」
という状態です。
神々の前に立つ際、
自分がどのような存在として
そこにいるのか、
どのような表情や姿勢で
対峙しているのかを
客観的に見つめています。
厳密に言うと、
「立とうとしている」という
表現が適切です。
完全に「立つ」ことはできません。
ここで言う「自己の理解」とは、
肩書きや役職、名前といった
表面的なものではありません。
私が今、どのような心持ちや
面持ちで神々と
向き合っているのかを
「知っている」ということです。
私は「何か」を知っていますが、
その状態を完全に把握し、
完結することはできません。
未熟であるがゆえに
学び続けているように、
神々の前での姿勢もまた、
常に進行中の状態なのです。
普段は偉そうな態度を
取っているかもしれませんが、
その点については私自身、
十分に把握できていないのが
正直なところです(笑)。
このような姿勢を
身につけるには、
時間もかかりました。
なぜなら、そこには
正解が存在しないにもかかわらず、
確かな答えがあるからです。
その上で、
自分の持つ権限について
深く考察することが求められます。
たとえば、誰かが
今年の運勢を尋ねたとします。
星座や宿曜に基づく
基本的な運気をお伝えするのは
問題ありません。
しかし、その人が歩む
無数の未来の可能性を
「見る」ことに関しては、
非常に複雑で
繊細な作業となります。
私には、そのすべてを
伝える権限はありません。
もし軽率に伝えてしまえば、
周囲に影響を及ぼしたり、
運命の流れを変えてしまう
可能性があります。
そんな重大なことを、
私が担えるはずはありません。
まず、この点を
肝に銘じる必要があります。
鑑定を受けた方々は、
「では、どのように伝えているのか」と
疑問に思うかもしれません。
確かに、
一部はお伝えしています。
その過程は非常に複雑ですが、
わかりやすく言えば、
「お伺いを立てる」という形を取っています。
この世界は、
見えない世界との協働によって
成り立っています。
その繋がりをいかに感じ取り、
最善の方向へ導くかが
重要な鍵となります。
私にとっての「最善」とは、
相談者だけでなく
周囲にも最善の影響を及ぼすことです。
しかし、相談者の幸せや夢、
希望が、必ずしも周囲にとって
最善とは限りません。
エゴや私利私欲が
含まれる場合もあります
(実際、そうである場合が
ほとんどです)。
そのため、お伝えする際には、
それが本当に最善であるかを
慎重に見極める力が必要です。
逆に、相談者や
周囲のエネルギーに含まれる
エゴや弱さ、私利私欲を見極める方が
早い場合もあります。
その場合は、それを指摘するか、
場合によっては
相談自体をお断りすることもあります。
相談者が自身の課題を解決し、
克服することで、
自然と問題が解決に向かったり、
周囲のエネルギーが
最善の方向へ導かれることもあります。
結局のところ、
自身の行為やカルマの解消を通じて
解放が起こり、
徳を積むことで
状況が変化する場合も多くあります。
このブログだけで
全てを語るのは困難であり、
私自身も全てを
知っているわけではありません。
あくまで一例にすぎません。
そして何よりも重要なのは、
リスペクトです。
リスペクトとは、
単なる一体化や同調に留まりません。
それは包括的であり、
複合的でもあります。
神々のエネルギーは
「有」と「無」の両方を内包しているため、
私自身の状態も
それに似たエネルギーを帯び、
神々との調和を図ろうとします。
この世は物質に満ちています。
そのため、時には
足元がふわっと浮くような感覚に
陥ることもあるでしょう。
それは少し危険な状態です。
それに耐える力も必要ですね。
ここまでお話しすると、
「いつそのような作業をしているのか」
「時間感覚が混乱するのではないか」と
思われるかもしれません。
その点については、
また別の機会にお話ししましょう。
本来、このような話を
するつもりはありませんでした。
あくまで、私個人の
現在の姿勢だと思ってください。
皆に当てはまるものではないです。
それぞれに違うはずです。
しかし、今この瞬間に、
なぜかこの話題を
共有する必要性を感じました。
きっと何か意味があるのでしょう。
ひとえに愛ゆえかもしれません。
本日はここまでとします。





コメント