地球に食べられている?
- Shinyong the Chameleon

- 3月11日
- 読了時間: 5分
死んだらどこに行くのだろう?
どころではない話になりますが。
AIやその先にある
スーパーインテリジェンスの話題で持ちきりですが、
その実現と普及には
膨大なエネルギーが必要であることは、
みなさんもよくご存知だと思います。
人間の脳も、普段は完全には稼働していない
という話も広く知られています。
どうやら脳をフル活動させると、
一瞬で餓死してしまう——
そんな記述を、つい最近読んだ
苫米地英人さんの本で見つけました。
苫米地さんは、私が幼い頃に「天才博士」として
テレビのバラエティ番組に出演されていた方です。
当時はなんだか遠い存在で、
むしろ「ああはなりたくない」と
思っていた記憶があります。
(ごめんなさい、苦笑)
それから30年近く経ち、
まさかご本を手に取り、深く共感する日が来るとは
想像もしていませんでした。
すでに3冊読みました。
若い頃の拒絶感は、
私にとって一種のブロックだったのだと、
今は理解しています。
「好き」はあっても、「憧れの存在」が
長らくいなかった私にとって、
ようやく自分なりの先駆者を
見つけられたような気がしています。
ファンという感覚とも
少し違う、不思議な感覚です。
ずっと欲しかったものだったのかもしれません。
今日は、その中でも「エネルギー」の話です。
博士クラスの方ならもっと科学的に
説明されるのでしょうが、
魂の領域の話も、
決して非論理的というわけではありません。
少し不思議な方向へ進みますが、
お付き合いいただければ幸いです。
特に今日のような日は、
胸を強く締め付けられるような気持ちになります。
私たちのエネルギーは、
この世界でどのように動いているのか。
体の中を巡る血液や
栄養のエネルギーもあれば、
感情や魂のエネルギーもあるでしょう。
ここでは特に区別せず、
大枠で考えたいと思います。
実は子どもの頃から、
ずっと一つの仮説を抱いていました。
「私たちのエネルギーって、
誰かが使っているのではないか?」
怒りや悲しみ、喜びも、
すべてエネルギーとして存在し、
それらは誰か、あるいは何かに吸収され、
利用されているのではないか
——そんな感覚です。
中学校で食物連鎖を習った世代ですが、
「人間が頂点」という説明に
どうしても納得がいきませんでした。
確かに人間より大きな動物はいますし、
私たちは襲われることもあります。
それでも知恵と道具によって、
多くの生態系で頂点に立っていると
考えられているのが現実です。
しかし、そんな話をすると
「怖い」「変なやつ」と思われるのがオチで、
思春期の私にはそこを深く追求する力がありませんでした。
もしあの頃に壁を打ち破っていたら、
どんな人生になっていたのだろう。
今思えば、これからぶち破っていく方が楽しそうですし、
実際にこれからやってみようと思っています(笑)
もちろん、『進撃の巨人』のような
展開になるつもりはありませんが……
なんとなく、まんざらでもないような気もして、
怖くてまだちゃんと見られていません(笑)
ホラーな話に限らず、普段の生活の中でさえ、
魂の動きやエネルギーはそこらじゅうに感じられます。
吐く息にさえ宿っているように思えて、
「ふむふむ」と思うところがあるのです。
木々が二酸化炭素を取り込み
酸素を出す仕組みは理解できます。
では、私たちの感情や体験によって
生まれたエネルギーは、
一体どこへ行っているのでしょう?
イチローが「ふん!」と打った
ホームランの瞬間のエネルギーも、
物理的な運動だけで完結しているわけではありません。
失恋してどん底にいる人の深い悲しみも、
その人の中にだけ留まっているわけではない。
どこかに流れている。
一体どこへ?
人は死んだらどうなるのかを
一生懸命考えるのに、
そのエネルギーの行方はあまり考えないものです。
大規模な震災や戦争が起きると、なおさらです。
無数の魂が失われ、生き残った人々の傷も深い。
そのとき、この膨大なエネルギーは
一体どうなっているのだろう、と。
ずっと観察してきて
今、私が持っている主な仮説は3つです。
1)地球自体が生命体的な存在であり、
私たちのエネルギーを利用している
2)宇宙そのものが生命体的に存在しており、
その一部として吸収されている
3)全く別の生命体によって
利用されている(これは少し怖い)
土に還るという表現がありますが、
このエネルギーも結局
「地球に食べられている」のかもしれない
——そんなことを勝手に想像しています。
今年の夏頃、アメリカで大統領が
宇宙人に関する何かを
発表するのではないかと言われています。
その背景には、現在の様々な
衝突の延長線上にある意図が
間違いなくあるでしょう。
その前にスピルバーグ監督の
最新作も公開されますし、
何らかの「見せたい」意図を持った方々が
動いているのでしょう。
エンタメとして楽しみに待っています。
ただ、どこかで
「ただのエンタメではない」という感覚もあります。
どこかの部分はリアルで、
どこかには信じさせたい意図がある。
そのリアルさえ、
1秒後には古い情報になってしまうのですが。
私は少し距離を置いて
眺めていたい気持ちが強いです。
「人の命」「人の人生」を
何だと思っているのか
——という人間に対する不信が、
どうしても拭えないからです。
それでもいつか、この魂や
エネルギーの行方を
しっかりと見極めていきたいと思っています。
一体何と繋がっているのか。
私たちの臍の緒の
フラクタルにあたるものは何なのか。
そんなことを常々考えています。
そして、上の3つの仮定の
4番目「その他」に
個人的には大きな期待を寄せているのです。
幸せなことです。本当に。
では、また。





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