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我慢するより大事なこと

夢の中で、ばぁちゃんが出てきて

「ほら、いっぱい食べんしゃい。

我慢せんで。」と

たくさんご飯を勧めてきました。


ただ、子どもの私は食べたくても

そんなにお腹に入りません。

ばぁちゃんを喜ばせたくて

たくさん食べたいのに、どうしても入らない。


「ばぁちゃん、残してごめんね。」

と伝えたところ、

「よく食べたね〜!

よかったよかった。」と

笑顔で褒めてくれました。


ほっと胸をなでおろしたところで、

ハッと目が覚めました。

夜中で、涙がこぼれていました。


もうすぐ誕生日のはずですし、

きっと会いに来てくれたのかもしれません。


ばぁちゃんは、満足に食べてほしいと

「食べなさい」と言ってくれたのに、

私は「残したら悲しむだろう」

「たくさん食べないと可愛くないだろう」と

一生懸命に食べようとしていました。


それが、私の深いところにある

「恐怖」だったのです。


この傾向は、多くの人に

共通しているのではないでしょうか。

特に幼少期は、親や大人に褒められたい、

可愛がられたい一心で、

小さな頭をフル回転させて行動します。


しかし、それが過ぎると

人の顔色をうかがいながら行動するようになり、

他人の評価に振り回される問題が生じてきます。

思い当たる方も少なくないと思います。


過度な期待や青天井の目標設定は、

子どもを苦しめます。

「もっと良い子に!」

「もっと成績を良く!」

「もっと手のかからない子に!」


そうすれば社会で成功すると信じていたとしたら、

それは大きな間違いです。

際限のないゴールに追い立てられれば、

精神はいつか擦り切れてしまいます。


子どもが一生懸命頑張ったこと、

やり切ったことを

十分に褒めてあげましょう。


できたことを一緒に喜び、

親が人に自慢するのではなく、

子ども自身とたっぷり喜ぶ「時間」を

共有することが大切です。


そして、いずれその情熱を

親の決めた道ではなく、

自分の選んだ道へと

自然に向かわせてあげられたら

理想的ではないでしょうか。


私のような大人は、

子どもたちに同じ轍を

踏ませたくないと思うのですが、

自身が体験していないと、

結局同じことを繰り返してしまうことが多いものです。


遊びたいのに塾に縛られ、

食べたくないのに無理やり食べさせられ、

一人でいるのが嫌なのに留守番を強いられ、

自分のことがしたいのに

下の子の面倒を押し付けられる——。


それらを「全部無理やり納得させられた」。

子どもにとっては、

そこから大人への不信が生まれます。

しかし、反抗するよりも

一生懸命に応えようとする子も少なくありません。


そのときの思考の癖が

「〜しなければならない」という

自分を律するレベルを超えた

義務感や強迫観念として残ってしまうのです。


まず、その固く結びついた部分を

ほぐしていくのがよいでしょう。

我慢を強いるよりも、

「過ぎた行動を慎む」視点を持つことをおすすめします。


「母らしくあらねばならない」ではなく

「自分のことばかりに

夢中になり過ぎない」程度に、

自分の時間も確保する。


「子どもに勉強させなければならない」

ではなく

「勉強の時間もとりつつ、遊ぶ時間も確保する」。


ダイエットに熱中して

「食べてはいけない」と強く思い込むと、

脳は貧相になり、食べる喜びも半減します。

反動で過食に走るケースも少なくありません。


「食べ過ぎない」という考え方に

切り替えてみてはいかがでしょうか。


「お金がない、使ってはいけない」ではなく

「使い過ぎない」「求め過ぎない」という発想も同じです。


案外、何が「過ぎた行動」かは、

自分自身が一番よく分かっているものです。

心が落ち着けば、自然と見えてきます。


その落ち着いた判断や決断のためにも、

瞑想や自分を振り返る時間を

意識的に設けるのが有効です。


現代社会は、どうしても派手で分かりやすい刺激を

次々と脳に取り込む流れになっていますが、

それに疲れ、ゆっくりとしたスローモードで

人生を見つめ直す人も増えているように感じます。


長年積み重ねた思考の癖やインナーチャイルドは、

一瞬では変わりません。

長い時間をかけて自分を解放し、許し、

周囲の人も許し、

新たな気持ちで再スタートするのです。


その過程で、また過去の強欲な姿や

業の深さに触れるかもしれませんが、

それもゆっくり浄化していけばよいのです。


そもそも、そんな気づきを得られること自体、

この世の全ての人ができることではありません。

知らずに人生を過ぎていく人もたくさんいます。


ただ、皆さんの魂は今、

そのタイミングを迎えたということです。

それは、とてもありがたいことだと思います。


ゆっくり時間をかけて、

過ぎた部分を慎み、足りなかった愛を

たっぷり自分にかけてあげ、

そして他人にも分け与えられたら、

これ以上ないほど素晴らしいことでしょう。


では、また。

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