修行の意味とは
- Shinyong the Chameleon

- 2025年5月9日
- 読了時間: 5分
「修行」とは一体何でしょうか?
何のために修行をするのでしょう?
私も途上なので、一緒に考えてみましょう。
このブログを読んでいる方の中には、
毎朝のお勤めを欠かさなかったり、
魂の学びに取り組んでいる方も少なくないと思います。
だって、興味がなければ
こんなブログ、わざわざ読まない!
いつも読んでくれて、ありがとう(笑)
魂の修練、
人間としての成長、
願掛け、
天からのメッセージを受け取ること、
あるいは、
ちょっと怪しい能力を身につけるため(笑)
人によって、修行の目的はさまざまです。
でも、ちょっと待って。
「悟り」や「無の境地」といった言葉を、
何も考えずに口にしないでくださいね。
宗教の教えは、
私にとって「一つの尊い考え」であって、
決して「絶対の答え」ではありません。
だから、教典を丸暗記して
その通りに実践するだけが
修行だとは思いません。
本当に素晴らしい宗教家なら、
自分の教えの「その先」を見てほしいと
願っているはず。
そう思いませんか?
欲にまみれた人は、
自分こそが頂点だと信じ、
他人を認めず、
自分より下だと見下したいのかもしれません。
でも、それって修行とは真逆ですよね。
「修行」と聞くと、
多くの人は
「苦しそう」「大変そう」
というイメージを持つと思います。
実際、すごい修行もあります。
火の上を歩いたり、
滝に打たれたり…
その形式にはリスペクトをしますが、
気軽に手は出せないですよね(苦笑)。
じゃあ、なぜ人は
わざわざ辛いことや面倒なことを
修行としてやるのでしょうか?
いろんな修行やトレーニングを
経験してきたShinyongの
一つの考え、学びとして、
もしあなたの心に響いたなら、
次の修行のテーマに
こんな視点を加えてみてください。
「修行とは陰(いん)であり、闇である」
スキップしながら
ルンルンで滝行する人なんて
まずいませんよね。
実際、危険ですし。
あまりの辛さに奇声を上げる人もいますが、
あれこそ究極の「陰」です(苦笑)。
もし修行を
ルンルン気分でポジティブに
毎日変わらずこなしているなら、
それはもう「修行」ではなく
ただの「ルーティーン」です。
私だって、
何度ため息をつきながら
自分の「陰」と向き合っているか…
そんな時は
ありがたいマントラが台無しですよ(笑)。
ポジティブに取り組んでいる日もありますけども。
スピリチュアルに興味がある人は、
どうしても「陽」を求めがちです。
しかも、自分が考える「陽」――
ハッピーになること、
豊かになること、
すべてがうまくいくこと。
そういう願いや祈りをするのは
もちろん悪いことではありません。
でも、「陰」に触れて学ぶことこそが、
「陽」につながると個人的には思います。
だからこそ、
火の上を歩くような苦行も
存在するわけです。
火の上を歩くような荒々しい修行は、
その道を志す人のためのもので、
万人に必要なものではないでしょう。
お経を読んだりする
一般的なものは形式的に
「陰」と向き合ういい練習です。
入門みたいに捉えています。
でも、実は
日々の生活の中で、
私たちはすでに
自分だけの「オリジナル苦行」を
たくさんしているんです。
応用編は日々の生活にあるのですね!
例えば、
子どもにとって、
宿題をちゃんとやることも、
食事の後片付けを手伝うことも、
ダダをこねて買ったペットの世話も、
立派な修行です。
毎朝、長時間かけて通勤する人、
会社でストレスを抱えながら
笑顔で仕事をする人、
毎日ご飯を作っているのに
家族が休みの日には
いつも以上にお母さんが働かなきゃいけないとき
(GW、お疲れ様でした!^^;)
――これ、全部「苦行」です。
好き好んでやってるわけじゃないですよね。
でも、そうやって取り組むことで、
家族を養えたり、
命の大切さに気づけたり、
宿題を頑張ったからこそ分かることもある。
誰かを笑顔にできることもあります。
「人生は修行である」という言葉に対し、
「人は苦しむために生まれたのではない」と
反発する人もいます。
「苦しむために生まれたのではない」という考えには
私も一定の賛同をします。
でも、それが修行を否定するものだとは思いません。
そもそも問題は、
上記のようにいう方の
修行に対する姿勢にあります。
「苦しむことこそ修行だ」と
定義してしまう点が気になりますね。
わざわざ火の上を歩かなくても、
お経を何万回も唱えなくても、
神職や信者でなくても
私たちの日常には
たくさんの「闇」や「陰」が存在します。
その「陰」を捉え、
自己の成長につなげることこそ、
本当の修行だと私は思います。
お経を何万回も唱えて
自分は満足していても、
家族の幸せを顧みないなら、
それに何の意味があるでしょうか。
その人にとっての本当の修行は、
逃げたくて向き合いたくない
「家庭」の中にあるはずです。
瞑想中に雑念が入ると悩む人がいます。
「雑念を入れてしまう自分」を
反省する人もいますが、
ちょっと視点を変えてみましょう。
雑念と向き合ってみるのです。
何を考えましたか?
今日の夕食?
昨日のケンカ?
返信し忘れたLINE?
その一つ一つに、
あなたが「陽」に向かうヒントが
隠れているんです。
修行で失敗したり、
滞ったりする時こそ、
実はチャンスです。
毎日運動しようと思ってもできない。
朝起きれない。
神棚の水を替えるのを忘れる。
子どもについキツい言葉を言ってしまう。
掃除の習慣が身につかない。
いろんなことがありますよね。
なぜそうなってしまうのか。
「自分が怠惰だから」というのは
答えの全てではありません。
もっと丁寧に「陰」と向き合ってみましょう。
イライラしたり、
焦ったりせずに。
それこそが修行です。
そして、そのお手伝いは
他人ができても、
答えを見つけるのはいつも自分自身だということを
忘れないようにしましょう。
はぁ…
それにしても着たいドレスが入るまで
ダイエットできなかった〜(泣)
若い時は痩せるなんて簡単だったのに。
でもドレスが入ることよりも
大事な自分の陰と向き合う機会がもてました。
私も、もう少し丁寧に向き合ってみようと思います。





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