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信じる者は救われるらしい件

まず奇跡を体験したいならば

奇跡が「ある」ってはっきり

思っているほうがいいでしょうね。


ないって思っている人が

奇跡を感じるのって難しいです。

ないって言っちゃってるからね。


じゃあ奇跡って何なのか。

ざっくりというと

知り得ない何らかの力や

シチュエーションにより

自分の意図しないラッキーな事象が起きた時

人は奇跡というようです。


ということは奇跡を体感するならば


1)奇跡があると信じていること


2)自分の意図しない、知らない「何か」があると

認めていること


が前提になると言えるのではないでしょうか?


あるかもしれない派よりも

ある派の方が

はっきりしていますから

奇跡が起きたと感じられる、

または起きた事象が奇跡だと感じられる

可能性は高まりますね。


奇跡認定しているのは自分ですからね。

時折誰もが認めざるを得ない

圧倒的奇跡も起きますけども。


どうですか?

奇跡を感じてみたいなら

この2点は試してみる価値はありますよ!


私は3つすでに実験しました。

ない、あるかもしれない、あるの3種。


「ある」が圧倒的に人生面白いと

個人的には思います。

人それぞれですけどね。


奇跡体験をすることは

素晴らしいことだと言いつつも

その描写にはとても気を配ります。


拝金主義の人間には

手から金粉が湧き出るとか

宝くじが当たる方が奇跡だと思ってるし

それを起こしてくれる人を求めます


そういう奇跡を求める人も

与える人も行き着く先は破滅です。


だって金粉が出る手を欲しいと思うでしょう?

宝くじを自分のためだけに

当てて欲しいって思うでしょう?

奪いたいとも思うでしょうね。


人間は残念ながら、

そのような歴史を古来より繰り返しています。


そもそも過度の承認欲求でもない限り

手から金が出るなら

自分のために使いますよ。


分け与えるなんて、よほどの世間知らずか

神にでもなった気分なのでしょうか。


もっというと、なんで「金」なんですか?

この世が金本位で成立していることを

その神はよくご存知なのでしょうね(笑)


人間の目をくらませ

良心による判断を鈍らせる可能性は

ご存知なかったということでしょうか。


こういうことを言うので

たまに無神論者かと

質問されることも

あったりなかったりですが


神と人から呼ばれる存在が

大きな愛の存在だとするならば

その存在を私は認識しています。

100%認識しています。


ただし、その神なる存在に私は

恐れ多くも名前をつけようとは思っていません。

どこにでもいるし、

有形無形どんなものとしても

存在しうるからです。


そのような愛の存在も

エネルギーの流れも

そこに繋がった奇跡の存在も

よくみています。


まだこれからもっと

いろんな奇跡体験をしていくでしょうね


あなたも、私も。

楽しみですね。

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