スピリチュアル界のラベリングの闇
- Shinyong the Chameleon

- 11月28日
- 読了時間: 5分
土星が魚座で巡行になりましたので、
それに相応しい話をしたいと思います。
ちなみに今後インスタや
ブログで惑星の模様から
キーワードをお届けする場合は
Vedic(インド占星術)に基づいて
お届けします。
西洋占星術を扱う方と、
少し違った内容になることも
あるかと思いますが、
ご了承ください。
さて、私たちは自分自身を
よく知らない場合が多いです。
人に言われて気づくこと、
分析ツールを使って知ること、
文化芸術に触れて
インスパイアされること、
様々な方法で己に近づく事ができます。
スピリチュアルや自分の内面、
精神世界に興味がある場合、
その分野からのアプローチも
多くあると思います。
スピリチュアルの世界には、
心理学や科学的事象より導き出された
「もっともらしい」セオリーが多く存在します。
その中で注意しなければ
ならないものがありますので、
今日はそれを紹介します。
それは「ラベリング」です。
ラベリングとは、人や物事に対して
「これはこういうもの」
「あなたはこういう人」という
レッテルを貼る行為のことです。
スピリチュアル界では、
「あなたはインディゴチルドレン」
「前世は〇〇だった」
「ツインレイの関係」
「エンパス体質」
「あなたの魂は〇〇レベル」といった形で、
様々なラベリングが行われています。
一見すると、これらのラベリングは
自分を理解する助けになるように思えます。
自分が何者であるかがわかり、
生きづらさの理由が
見つかったような気持ちになるからです。
これに飛びついて
盲目的に思い込んでいる人を見て
「キツイな」と思うこともあります。
ラベリングの全てを否定はしません。
実際、助けになる瞬間があります。
元気になってくれるのはいいけど、
いつしかそれが他者への攻撃や、
新たな偏見を生む道具に
なってしまうこともあります。
私自身のアドバイスでも、
前向きになれるような言葉を心がけていますし、
「〇〇の才能がある」ということもあります。
言う時はとても神経を使います。
大きな落とし穴は、
診断や占いの結果は
あなた自身を形作る
「全て」ではないと言うことです。
私はとっかかりだと思っています。
私も先日MBTI診断で自分を再発見して、
驚きを隠せませんでした。
その後、どうしたか。
インド占星術や宿曜、数秘など
自分が学んだものの書物をペラペラめくり、
自分自身を再度鑑定しました。
自分の基本的傾向を改めて確認し、
傾向と言われる部分と
自分自身の置かれてきた環境要因、
実績、成長過程と
現状と照らし合わせて
符号点と異なる点を導き出すこと、
その理由として考えられることに
向き合った数日間でした。
他の学習を止めてでも、
実行しました。
なぜならそこに新たなる
成長のポイントがあることを
知っているからです。
実際にその分析から
今の自分に必要なことを
実行に移しています。
現実的な人々が思われるように、
宿曜ならば27宿、
西洋占星術は12星座、
MBTIなら16タイプ、
血液型なんて4タイプしかないのに、
それで人間のタイプを
当てはめてしまうことなんてできません。
あくまで傾向です。
多くの知識から
自分自身を見つめる機会が増えるのは
間違いありません。
でも、「あなた」を全て
言い表せるかというとそうではありません。
魂や意識レベルを
「測定する」「数値化する」などという
研究に関しても否定しませんが、
その指標は誰かをラベリングするものではありません。
かつて我々人類は
この思い込みにより多く時間を無駄にし、
時には命を犠牲にしてきたこともあります。
優生思想がその最たる例です。
どの民族が優れていて、
特別な力が備わっているなどという
根拠のない信念に基づいて、
多くの人々が迫害されてきました。
「日本人だけに備わった特別な力!」
などという変な動画に惑わされてはいけませんね。
日本人の素晴らしさは
たくさんありますが、
愛を中心にする世界には
この思想は全く合致しないものです。
「あなたの魂は何レベルですか?」
などという言葉に騙されなくて結構です。
数値化するというのであれば、
今日80点でも
明日15点を叩き出すものです。
今日の魂レベルと
明日のレベルは違うこともあります。
今日は「翼宿」でも
明日は「井宿」を帯びることも
日常茶飯事で起こっているのです。
実際に私の鑑定でも、
基本的な診断ではない結果を
告げられた人もいると思います。
傾向で人を決めつけることは
極めて危険な考えです。
そしてそれは多くの
スピリチュアル世界で
自然なまでに浸透している
「不自然」なのです。
この世のハーモニーは
シンプルかつ膨大だと感じます。
簡素、ではありません。
レベルがあるとすれば、
あなたが生きて培ったもの、
例えば教養や経験によって
言えるのかもしれませんが、
人としての優劣を決めるものではありません。
ところ変われば評価も
レベルも違うというものです。
井の中の蛙になっては
勿体無い。
私も常に発見と反省を促されています。
時に頭を殴られるような衝撃もあります。
「これか!」と思わされても
それが確固たる答えではないことを気付かされます。
真理があるとすれば、
それは「変化」「流動」だと思っています。
ゆえに、我々が考えるような
悟りの境地はギャグの中でこそ存在はすれ、
実際には存在しないのかもしれません。
一瞬、至ったかのように思えても、
次の瞬間また別の旅に誘われる。
そんなもんだと思うのは私だけでしょうか。





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