苦しくない自己評価や子育て
珍獣ハンターのOさんが、
私について
面白い話をしてくださいました。
「Shinyongさんはファンがいて
応援してもらえるから、
そりゃ愛は感じるでしょう」
と思っていた、と。
ブログを読んでくださっている方は
ご存知かと思いますが、
私は人間嫌いでした。
だいぶ苦しみ、
今はその憎しみからも
ほぼ解放されています。
ファンはとても
ありがたい存在です。
しかし、その「ファン」の中には
私を傷つける方もいました。
ファンビジネスに置くしかない
自分のモデルや俳優という
職種に苦しみながら、
それでも表現や美の世界が好きで、
まるで酸素のない
水の中でもがく魚のような気持ちでした。
思い返せば、
人間嫌いはもっと以前から
始まっていました。
先日お話ししていた
「過度の嫉妬や羨望が
諸悪の根源だとしたら……」
という仮定にも当てはまるものです。
私は書道や学業に
長けていました。
とても好きで、
一生懸命に続けていました。
努力も人並み以上だったと
今でも思います。
そのおかげで、
学校でも目立つ存在になりました。
「都ちゃんはいいわね」
「頭のいい子でいいわね」
そして、一番嫌いな言葉は
次の言葉でした。
「うちの子も都ちゃんみたいに
上手くできたらよかったのに」。
なんて残酷な言葉でしょう。
もちろん称賛の気持ちで
言ってくださったことは
わかっています。
でも、本当にそうでしょうか?
私はその時から、
その裏にあるくだらない嫉妬心を
見抜いていた気がします。
その言葉は私を深く傷つけました。
「人前でもいつも
堂々としていいわね」
「みんなから好かれていいわね」
私はちっとも
得意げになれませんでした。
嫌で、嫌で……。
中学校の時、
とうとう校長先生に
直訴しに行きました。
「もう、表彰しないでください」と。
先生はキョトンとされていました。
中学生の頃、
作品や文章についても
「子どもらしくない」という
レッテルを貼られました。
今の私が当時の私に
言ってあげられることは、
「そんな世界、捨ててしまえ。
もっと遠くに行きなさい。
あなたのことを知らない、
言葉も通じないところへ
行きなさい。
そこでどんどん挑戦して、
誰も手の届かないところへ
行きなさい」ということです。
当時の私にとって、
それは夢のまた夢でした。
日本の学校のみを
批判するわけではありませんが、
人と比べることや
相対評価のみを重視するシステムは、
個人の可能性を
狭めてしまうことがあると感じていました。
素晴らしいものは素晴らしい。
いいものはいい。
もちろん試験があれば
点数が出ますし、
ランキングされることもあるでしょう。
それ自体が悪いとは思いません。
競走は面白かったです。
一番でなくても大変でしたが、
楽しかったです。
しかし、相対評価は
「人より良い点数を取ること」を
「良し」とする価値観です。
それが顕著に見えた高校生活は、
本当に苦痛でした。
なぜ人はそこに
優劣の価値観を結びつけるのでしょうか?
なぜ人は単純に
成果を喜んだり、
周りを称えることができないのでしょうか?
お金やクレジットが
あるからですか?
いい大学に行けるからですか?
自分の子は他人の子よりも
優れていてほしいからですか?
みんな、いいところがある。
みんな才能がある。
それで良くないですか?
我が家の息子は
高校を無事卒業し、
大学に進学しました。
私は遠くから
とても誇りに思っています。
彼はとても優秀な成績で、
素晴らしいプライベートスクールを
卒業しました。
個性や個人の才能を
大切に育む学校だったと聞いています。
彼の進学する大学は、
アメリカの超名門や
アイビーリーグではありません。
しかし、しっかり将来を見据えた
技術力の推進を中心とする大学で、
彼もきっと多くの研究や
学びを重ねていくことでしょう。
私はそこに時代の恩恵を感じます。
そんな彼は今のところ、
この広大なアメリカの
市民であるにもかかわらず、
車の運転の才能には
乏しい状態です。
なかなか免許が取れません。
でもきっとそれは、
努力とトレーニングで
いずれ乗り越えられるでしょうし、
一緒に動いてくれる良いお友達が
見つかるかもしれません。
あるいは「時代の恩恵」により、
自動運転技術の発展が
その壁を取り払ってくれるかもしれません。
人は、息子の才能の欠如を
笑うかもしれませんが、
それは私にとって、裁量の狭い、
くだらない人間にすぎません。
そんなことよりも、
自分も人も大事にして、
彼が学びを追求しているように、
地球や環境に感謝しながら
共生できる道を探す、
ナイスな男になれと願っています。
私にも、人と比べれば
たくさんの能力の欠如があります。
世の中の成績優秀な
学生がなるようなエリートには
なりませんでした。
子供を産むことも
できませんでした。
普通の人ができるような作業や
社会的義務をクリアできないことも
多々あります。
なぜかいろいろなビジョンや
メッセージを受け取ってしまいます。
もしかしたら、
どこかおかしいのかもしれません。
相対評価オンリーなら、ね。
いいねとか、フォロワーとか、
視聴回数とか、売れる売れないとか、
どうでもいいのです。
たかが人間同士の、
小さな世界の話なんで。
それも、知り合いばかりの。
私たちはオンラインの世界を、
果てしなく続く無限の世界と
勘違いしているのかもしれませんが、
所詮「限られた」人間の
くくられた世界なのです。
あなたの創造性や、
生きていることの素晴らしさは、
そんなことを
ゆうに超えたところにあります。
もっといろんなところに
繋がれる機会があります。
インターネットなんて、
人の意識世界と比べれば
たかが知れています。
私もやっと、
そこに確信を持てたので、
自由にやりたいことを始めました。
人も自分ももっと
幸せにできるようになりました。
世の中に合わせて、
人に合わせて苦しんでいた時間は
本当に悔しいですが、
それも学びだったのでしょう。
SNSや私が発信したものでしか
見ていない方がほとんどでしょうが、
私はもう、そこには「いません」。
私はもっと広くて、
自由で、心地よいところにいます。
そこで、改めて
みなさんとお会いしましょう。
私たちはそんなせせこましい世界に
いる必要はありません。
他人の狭い価値観を
一切切り離しましょう。






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